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最後に
2012/04/23(Mon)
自分には無縁と思っていたのに…最近ホロっと涙が出てくることがあります。

子供達が巣立つ時期に来てます。(下の子はまだ大学受験が残ってますが)

沢山悩んだり喧嘩したりした事を思い出したり…
子育てを経験出来た事に感謝したり…

このブログも今回でおしまいにして、これからは
もう一度自分と夫に目を向けよう

なんて感傷的になっちゃったりして。。



最後の最後に息子の内申を…

もう中、高の3年時の先生方は移動されているし
資料も残ってないでしょうしね

中2は35(5教科21)
中3は40(5教科24)×2で
合計115/135
でした。神奈川県の公立高校の独自入試校へ
後期の2次枠にて入学

そして…
高2までの内申の平均は息子いわく3の前半(全教科の平均です
高3までの内申の平均は息子いわく3の後半…後半と言ってもいいだろう…
だそうです。高校の成績表は見せなくなったので自己申請です。

学校推薦とは無縁だったのですが高3の推薦やAOの時期に
某教科の先生には「キミは本当なら5だけど提出物が出てないから4ね」
とわざわざ言われたようです。きっと微妙な差で推薦が貰えないお子さん達も
いたでしょうから、うちの子にまで一応声をかけて説明してくださったのでしょう。

「男の子だからしょうがない」とは思えなかった私は諦めずに息子には
高校になっても提出物は出すようにといつも声はかけていたつもりでした。
きちんと言われたことはやらなくてはならないと、伝えていたつもりです。
社会人になったら通用しませんからね。それに男子でもちゃんと出来る子は
出来ますから。

でも、高校でもこの点は改善しませんでした。クラスメイトが提出物を
出しているときに、自分は「俺は出さない人」と3年間シレっとしていたなんて。。
唯一出すのは赤点の時のレポートのみだったのだと思います。

そして大学入学。単位取得や申請書類はもう本当に自分で管理しなくては
なりません。もしかしたら痛い目にあうかもしれませんが社会に出る前に
改善できる最後のチャンス!しっかりして貰わないといけません。

テストの点以外の部分で落とし内申が悪かった息子の母としてこのブログを
始めましたが…下には内申のいい子がいました。上の子の時には想像できなかった
132/135の内申。内申の助けもあって上の子とは別の独自入試校へ後期で
入学してます。

下の子はしっかりと先生の言うことを聞いてきて応用する力を持っています。もちろん
提出物も忘れずに(上の子は提出物の気配を感じないなんて迷言を残しましたが)
何か分からない事があればすぐに先生に尋ね、定期試験も抜かりなく
なのでブログに書くような話題もなく

両方とも大事な自分の子供です。

でもいつも上の子を心配して、オロオロしたり、喧嘩したり
そして世話を焼いている私でした。これからもそれはきっと変わらないんだと
思います。

子供達に願うのはただ一つ。
親から自立して自分の人生を楽しんで生きていって欲しい!
それだけです。

今年度からは神奈川県立高校の受験方法がガラッと変わりこのブログの内容も
古いものとなりますが、ふと目にして下さった皆様の何かの参考になればと
思いこのままおいて置きます。

ここを訪れて下さった方の満開の桜をお祈りしてます!
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大学受験
2012/03/12(Mon)
第一志望の国立の合格をもぎ取ってきました。

センター試験と前期の2科目目までは調子がよかったようですが
その後、という状態だったようで大変不機嫌になって帰宅。

高校の卒業式でちょっと気持ちが回復し、後期試験へ向けて
コツコツと宅勉を続けたものの、前期発表の前日より手につかなくなり
発表当日は早起きして「じかに自分の目で確かめたい」と大学まで
出かけていきました

掲示板の前でなかなか確かめる勇気が出なくて長い時間
ウロウロしていたんだろうな

大学の見知らぬ先輩方に受験番号と共に写真をとって頂き、なんと今の時代も
健在な胴上げまでして貰っていたようで随分時間がたってからメールが届きました。
高校受験の時と同様に仕事中でしたが本当に本当にホッとした瞬間でした。


理系なので国公立第一志望となったものの当初は学科まで
絞り込めませんでした。勉強を続けるうちに「この分野」で
6年間やっていこうという目標ができ(高校受験時のうっすらとした
夢が結局は目標になりました)志望大学もかなり絞られあとは
ひたすら勉強するのみ。(予備校の自習室を使っていたので多分勉強していた
だろうという予想ですが)

11月12月の模試でもC判定までしか出ませんでしたが
現役なので最後に…というか本番で伸びた?!

また、浪人覚悟だった事と学費や学科を考えると国立が最適なので
とにかく国立に焦点を絞って受験。唯一受けた私立は合格出来なかったものの
なんとか国立へ滑り込み。

春から大学生です。

結局息子は推薦、面接、AO、内申という苦手科目は中学でも高校でも
克服できないままでした提出物もしかりです。
ただ願書取り寄せ、願書記入&提出、受験料払い込み、入学書類諸々記入
入学金払い込みという手続きは高校受験と違ってすべて自力で出来た
事がささやかな成長?!

大学での6年間(多分大学院へ進学するだろうと…)の学生生活の中で
是非とも生きる力を身につけて社会に出ていって欲しいものです。

私の子育ても(第一子は)ゴールが見えてきました。

自立して幸せに生きて欲しい、願うのはそれだけです
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立教新座高校校長のメッセージ
2011/05/02(Mon)
今更ですが…話題になっていましたね。

含蓄に富むメッセージで子供にも分かり易く、厳しくも暖かいエールが心に深く響きます。
まさにこれから大学、就職へ向かう子供達にも繰り返し読んで欲しいと願って…

…………………………………………………………………………………………………


卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。


 諸君らの研鑽の結果が、卒業の時を迎えた。その努力に、本校教職員を代表して心より祝意を述べる。
 また、今日までの諸君らを支えてくれた多くの人々に、生徒諸君とともに感謝を申し上げる。

 とりわけ、強く、大きく、本校の教育を支えてくれた保護者の皆さんに、祝意を申し上げるとともに、心からの御礼を申し上げたい。

 未来に向かう晴れやかなこの時に、諸君に向かって小さなメッセージを残しておきたい。

 このメッセージに、2週間前、「時に海を見よ」題し、配布予定の学校便りにも掲載した。その時私の脳裏に浮かんだ海は、真っ青な大海原であった。しかし、今、私の目に浮かぶのは、津波になって荒れ狂い、濁流と化し、数多の人命を奪い、憎んでも憎みきれない憎悪と嫌悪の海である。これから述べることは、あまりに甘く現実と離れた浪漫的まやかしに思えるかもしれない。私は躊躇した。しかし、私は今繰り広げられる悲惨な現実を前にして、どうしても以下のことを述べておきたいと思う。私はこのささやかなメッセージを続けることにした。

 諸君らのほとんどは、大学に進学する。大学で学ぶとは、又、大学の場にあって、諸君がその時を得るということはいかなることか。大学に行くことは、他の道を行くことといかなる相違があるのか。大学での青春とは、如何なることなのか。

 大学に行くことは学ぶためであるという。そうか。学ぶことは一生のことである。いかなる状況にあっても、学ぶことに終わりはない。一生涯辞書を引き続けろ。新たなる知識を常に学べ。知ることに終わりはなく、知識に不動なるものはない。

 大学だけが学ぶところではない。日本では、大学進学率は極めて高い水準にあるかもしれない。しかし、地球全体の視野で考えるならば、大学に行くものはまだ少数である。大学は、学ぶために行くと広言することの背後には、学ぶことに特権意識を持つ者の驕りがあるといってもいい。

 多くの友人を得るために、大学に行くと云う者がいる。そうか。友人を得るためなら、このまま社会人になることのほうが近道かもしれない。どの社会にあろうとも、よき友人はできる。大学で得る友人が、すぐれたものであるなどといった保証はどこにもない。そんな思い上がりは捨てるべきだ。

 楽しむために大学に行くという者がいる。エンジョイするために大学に行くと高言する者がいる。これほど鼻持ちならない言葉もない。ふざけるな。今この現実の前に真摯であれ。

 君らを待つ大学での時間とは、いかなる時間なのか。

 学ぶことでも、友人を得ることでも、楽しむためでもないとしたら、何のために大学に行くのか。

 誤解を恐れずに、あえて、象徴的に云おう。

 大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。

 言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を得るためではないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい。

 中学・高校時代。君らに時間を制御する自由はなかった。遅刻・欠席は学校という名の下で管理された。又、それは保護者の下で管理されていた。諸君は管理されていたのだ。

 大学を出て、就職したとしても、その構図は変わりない。無断欠席など、会社で許されるはずがない。高校時代も、又会社に勤めても時間を管理するのは、自分ではなく他者なのだ。それは、家庭を持っても変わらない。愛する人を持っても、それは変わらない。愛する人は、愛している人の時間を管理する。

 大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ。

 池袋行きの電車に乗ったとしよう。諸君の脳裏に波の音が聞こえた時、君は途中下車して海に行けるのだ。高校時代、そんなことは許されていない。働いてもそんなことは出来ない。家庭を持ってもそんなことは出来ない。

 「今日ひとりで海を見てきたよ。」

 そんなことを私は妻や子供の前で言えない。大学での友人ならば、黙って頷いてくれるに違いない。

 悲惨な現実を前にしても云おう。波の音は、さざ波のような調べでないかもしれない。荒れ狂う鉛色の波の音かもしれない。

 時に、孤独を直視せよ。海原の前に一人立て。自分の夢が何であるか。海に向かって問え。青春とは、孤独を直視することなのだ。直視の自由を得ることなのだ。大学に行くということの豊潤さを、自由の時に変えるのだ。自己が管理する時間を、ダイナミックに手中におさめよ。流れに任せて、時間の空費にうつつを抜かすな。

 いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。

 いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。

 海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。

 真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。一途な男になれ。貧しさを恐れるな。男たちよ。船出の時が来たのだ。思い出に沈殿するな。未来に向かえ。別れのカウントダウンが始まった。忘れようとしても忘れえぬであろう大震災の時のこの卒業の時を忘れるな。

 鎮魂の黒き喪章を胸に、今は真っ白の帆を上げる時なのだ。愛される存在から愛する存在に変われ。愛に受け身はない。

 教職員一同とともに、諸君等のために真理への船出に高らかに銅鑼を鳴らそう。

 「真理はあなたたちを自由にする」(Η ΑΛΗΘΕΙΑ ΕΛΕΥΘΕΡΩΣΕΙ ΥΜΑΣ ヘー アレーテイア エレウテローセイ ヒュマース)・ヨハネによる福音書8:32

 一言付言する。

 歴史上かってない惨状が今も日本列島の多くの地域に存在する。あまりに痛ましい状況である。祝意を避けるべきではないかという意見もあろう。だが私は、今この時だからこそ、諸君を未来に送り出したいとも思う。惨状を目の当たりにして、私は思う。自然とは何か。自然との共存とは何か。文明の進歩とは何か。原子力発電所の事故には、科学の進歩とは、何かを痛烈に思う。原子力発電所の危険が叫ばれたとき、私がいかなる行動をしたか、悔恨の思いも浮かぶ。救援隊も続々被災地に行っている。いち早く、中国・韓国の隣人がやってきた。アメリカ軍は三陸沖に空母を派遣し、ヘリポートの基地を提供し、ロシアは天然ガスの供給を提示した。窮状を抱えたニュージーランドからも支援が来た。世界の各国から多くの救援が来ている。地球人とはなにか。地球上に共に生きるということは何か。そのことを考える。

 泥の海から、救い出された赤子を抱き、立ち尽くす母の姿があった。行方不明の母を呼び、泣き叫ぶ少女の姿がテレビに映る。家族のために生きようとしたと語る父の姿もテレビにあった。今この時こそ親子の絆とは何か。命とは何かを直視して問うべきなのだ。

 今ここで高校を卒業できることの重みを深く共に考えよう。そして、被災地にあって、命そのものに対峙して、生きることに懸命の力を振り絞る友人たちのために、声を上げよう。共に共にいまここに私たちがいることを。

 被災された多くの方々に心からの哀悼の意を表するととともに、この悲しみを胸に我々は新たなる旅立ちを誓っていきたい。

 巣立ちゆく立教の若き健児よ。日本復興の先兵となれ。

 本校校舎玄関前に、震災にあった人々へのための義捐金の箱を設けた。(3月31日10時からに予定されているチャペルでの卒業礼拝でも献金をお願いする)

 被災者の人々への援助をお願いしたい。もとより、ささやかな一助足らんとするものであるが、悲しみを希望に変える今日という日を忘れぬためである。卒業生一同として、被災地に送らせていただきたい。

 梅花春雨に涙す2011年弥生15日。

立教新座中学・高等学校


校長 渡辺憲司


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新学期に入ると学校の校長先生や担任の先生、塾や予備校の先生方の話を聞く機会が増え年初は出来るだけそういう場所へ出掛けるようにしています。公立私立関係なく個性豊かな先生方の話を伺うのも楽しみの一つ。

ただ公立の先生の中には、たとえ長の付く人であっても驚くほど話下手な先生がいらっしゃる事も事実。。

私自身、子供達に対する言葉の中に無駄な、傷つける言葉や口調で発している事に度々気付きます。夫にも然りかも。。
自身の言葉をこんな思慮深い暖かいメッセージを伝える為に使いたい…と反省
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