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立教新座高校校長のメッセージ
2011/05/02(Mon)
今更ですが…話題になっていましたね。

含蓄に富むメッセージで子供にも分かり易く、厳しくも暖かいエールが心に深く響きます。
まさにこれから大学、就職へ向かう子供達にも繰り返し読んで欲しいと願って…

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卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。


 諸君らの研鑽の結果が、卒業の時を迎えた。その努力に、本校教職員を代表して心より祝意を述べる。
 また、今日までの諸君らを支えてくれた多くの人々に、生徒諸君とともに感謝を申し上げる。

 とりわけ、強く、大きく、本校の教育を支えてくれた保護者の皆さんに、祝意を申し上げるとともに、心からの御礼を申し上げたい。

 未来に向かう晴れやかなこの時に、諸君に向かって小さなメッセージを残しておきたい。

 このメッセージに、2週間前、「時に海を見よ」題し、配布予定の学校便りにも掲載した。その時私の脳裏に浮かんだ海は、真っ青な大海原であった。しかし、今、私の目に浮かぶのは、津波になって荒れ狂い、濁流と化し、数多の人命を奪い、憎んでも憎みきれない憎悪と嫌悪の海である。これから述べることは、あまりに甘く現実と離れた浪漫的まやかしに思えるかもしれない。私は躊躇した。しかし、私は今繰り広げられる悲惨な現実を前にして、どうしても以下のことを述べておきたいと思う。私はこのささやかなメッセージを続けることにした。

 諸君らのほとんどは、大学に進学する。大学で学ぶとは、又、大学の場にあって、諸君がその時を得るということはいかなることか。大学に行くことは、他の道を行くことといかなる相違があるのか。大学での青春とは、如何なることなのか。

 大学に行くことは学ぶためであるという。そうか。学ぶことは一生のことである。いかなる状況にあっても、学ぶことに終わりはない。一生涯辞書を引き続けろ。新たなる知識を常に学べ。知ることに終わりはなく、知識に不動なるものはない。

 大学だけが学ぶところではない。日本では、大学進学率は極めて高い水準にあるかもしれない。しかし、地球全体の視野で考えるならば、大学に行くものはまだ少数である。大学は、学ぶために行くと広言することの背後には、学ぶことに特権意識を持つ者の驕りがあるといってもいい。

 多くの友人を得るために、大学に行くと云う者がいる。そうか。友人を得るためなら、このまま社会人になることのほうが近道かもしれない。どの社会にあろうとも、よき友人はできる。大学で得る友人が、すぐれたものであるなどといった保証はどこにもない。そんな思い上がりは捨てるべきだ。

 楽しむために大学に行くという者がいる。エンジョイするために大学に行くと高言する者がいる。これほど鼻持ちならない言葉もない。ふざけるな。今この現実の前に真摯であれ。

 君らを待つ大学での時間とは、いかなる時間なのか。

 学ぶことでも、友人を得ることでも、楽しむためでもないとしたら、何のために大学に行くのか。

 誤解を恐れずに、あえて、象徴的に云おう。

 大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。

 言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を得るためではないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい。

 中学・高校時代。君らに時間を制御する自由はなかった。遅刻・欠席は学校という名の下で管理された。又、それは保護者の下で管理されていた。諸君は管理されていたのだ。

 大学を出て、就職したとしても、その構図は変わりない。無断欠席など、会社で許されるはずがない。高校時代も、又会社に勤めても時間を管理するのは、自分ではなく他者なのだ。それは、家庭を持っても変わらない。愛する人を持っても、それは変わらない。愛する人は、愛している人の時間を管理する。

 大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ。

 池袋行きの電車に乗ったとしよう。諸君の脳裏に波の音が聞こえた時、君は途中下車して海に行けるのだ。高校時代、そんなことは許されていない。働いてもそんなことは出来ない。家庭を持ってもそんなことは出来ない。

 「今日ひとりで海を見てきたよ。」

 そんなことを私は妻や子供の前で言えない。大学での友人ならば、黙って頷いてくれるに違いない。

 悲惨な現実を前にしても云おう。波の音は、さざ波のような調べでないかもしれない。荒れ狂う鉛色の波の音かもしれない。

 時に、孤独を直視せよ。海原の前に一人立て。自分の夢が何であるか。海に向かって問え。青春とは、孤独を直視することなのだ。直視の自由を得ることなのだ。大学に行くということの豊潤さを、自由の時に変えるのだ。自己が管理する時間を、ダイナミックに手中におさめよ。流れに任せて、時間の空費にうつつを抜かすな。

 いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。

 いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。

 海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。

 真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。一途な男になれ。貧しさを恐れるな。男たちよ。船出の時が来たのだ。思い出に沈殿するな。未来に向かえ。別れのカウントダウンが始まった。忘れようとしても忘れえぬであろう大震災の時のこの卒業の時を忘れるな。

 鎮魂の黒き喪章を胸に、今は真っ白の帆を上げる時なのだ。愛される存在から愛する存在に変われ。愛に受け身はない。

 教職員一同とともに、諸君等のために真理への船出に高らかに銅鑼を鳴らそう。

 「真理はあなたたちを自由にする」(Η ΑΛΗΘΕΙΑ ΕΛΕΥΘΕΡΩΣΕΙ ΥΜΑΣ ヘー アレーテイア エレウテローセイ ヒュマース)・ヨハネによる福音書8:32

 一言付言する。

 歴史上かってない惨状が今も日本列島の多くの地域に存在する。あまりに痛ましい状況である。祝意を避けるべきではないかという意見もあろう。だが私は、今この時だからこそ、諸君を未来に送り出したいとも思う。惨状を目の当たりにして、私は思う。自然とは何か。自然との共存とは何か。文明の進歩とは何か。原子力発電所の事故には、科学の進歩とは、何かを痛烈に思う。原子力発電所の危険が叫ばれたとき、私がいかなる行動をしたか、悔恨の思いも浮かぶ。救援隊も続々被災地に行っている。いち早く、中国・韓国の隣人がやってきた。アメリカ軍は三陸沖に空母を派遣し、ヘリポートの基地を提供し、ロシアは天然ガスの供給を提示した。窮状を抱えたニュージーランドからも支援が来た。世界の各国から多くの救援が来ている。地球人とはなにか。地球上に共に生きるということは何か。そのことを考える。

 泥の海から、救い出された赤子を抱き、立ち尽くす母の姿があった。行方不明の母を呼び、泣き叫ぶ少女の姿がテレビに映る。家族のために生きようとしたと語る父の姿もテレビにあった。今この時こそ親子の絆とは何か。命とは何かを直視して問うべきなのだ。

 今ここで高校を卒業できることの重みを深く共に考えよう。そして、被災地にあって、命そのものに対峙して、生きることに懸命の力を振り絞る友人たちのために、声を上げよう。共に共にいまここに私たちがいることを。

 被災された多くの方々に心からの哀悼の意を表するととともに、この悲しみを胸に我々は新たなる旅立ちを誓っていきたい。

 巣立ちゆく立教の若き健児よ。日本復興の先兵となれ。

 本校校舎玄関前に、震災にあった人々へのための義捐金の箱を設けた。(3月31日10時からに予定されているチャペルでの卒業礼拝でも献金をお願いする)

 被災者の人々への援助をお願いしたい。もとより、ささやかな一助足らんとするものであるが、悲しみを希望に変える今日という日を忘れぬためである。卒業生一同として、被災地に送らせていただきたい。

 梅花春雨に涙す2011年弥生15日。

立教新座中学・高等学校


校長 渡辺憲司


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新学期に入ると学校の校長先生や担任の先生、塾や予備校の先生方の話を聞く機会が増え年初は出来るだけそういう場所へ出掛けるようにしています。公立私立関係なく個性豊かな先生方の話を伺うのも楽しみの一つ。

ただ公立の先生の中には、たとえ長の付く人であっても驚くほど話下手な先生がいらっしゃる事も事実。。

私自身、子供達に対する言葉の中に無駄な、傷つける言葉や口調で発している事に度々気付きます。夫にも然りかも。。
自身の言葉をこんな思慮深い暖かいメッセージを伝える為に使いたい…と反省
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高三の春
2011/05/01(Sun)
高校生活はあっという間に過ぎ去っていきます。もう3年生か…
子離れ、親離れと重なり子供の高校生活の様子がよく分からない状態なので
早く感じるのかもしれません。

理系を選択した時点で国立第一志望決定。

首都圏には国公立の理系が充実してます。6年間学ぶのにも
もってこいの環境です。

高校受験の時と同じく、推薦やAOとは全く無縁の息子。
最後まで諦めず粘り強く勉強していかなくてはなりません。

第一志望、E判定からのスタートです。

上を向いて頑張れ!
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高一の夏(2009.07.22皆既日食の日に)
2009/07/22(Wed)
色々な意味で親子共々濃い3年間だった中学生から高校生になり
もう夏休み

今思い出しても濃い3年間でした。我が家の男子ぃは中学の3年間、特に3年生は
心身ともに急成長期&反抗期。こちらも血気盛んに応戦してましたが内申の事も
あり…いやぁ 疲れました。やっと今頃回復してきましたよ、私
パスワード思い出せてよかったです

既に2人目がスタートしてますが大分力を抜いて見守る事が出来てます。
締めて一応口うるさく言う所、諦めて放っておく所。内申も大事ですが
やはり学力を出来るだけつけておいた方がやっぱりいいです。

息子は入試後はひたすら遊びに専念しまして春休みの課題も「やった!やった!」
と、中学時代によく聞いた台詞「提出物?出した!出した!」と同じ調子で言いのけ
案の定、入学後のテストで最悪のスタートを切りました。

流石に最初から深海魚は、、と自分で反省したようでその後は本人曰く復活して
頑張っているとの事。

高校になると中学以上に学校の様子や友達の名前もさっぱり分からなくなりました。

ほんの数人の同じ中学出身の同級生のお母様からのタイムリーな情報で最初の
懇談会こそ参加できましたが、尿検査未提出だったり、3者面談の申込書未提出で
先生から直々にお電話を頂戴したりして

それでもやはり自分で選んだ学校、部活も満喫して随分楽しい学校生活を送っている
ようです。先生からは部活が楽しいのは大いに結構。但し!この先はどれだけ毎日時間を
見つけてコツコツ勉強を重ねるかにかかっているとギュゥゥぅとプレッシャーをかけられて
ました。

そしてかなりあやしいけれども一応本人には「センター試験受けられるようにどの科目も
満遍なく勉強せい!」と言ってあります。まだ本人も諦めてはないハズ…たぶん。
ただ、まだまだ入りたい学部、決まらないようです。

なにせすっかり様子が分からなくなったものですから有益な高校生活の情報も勉強の
仕方も何もなく残念ですが、、とりあえず元気です。

高校生になって新しいスポーツにも興味が出てきたり、音楽や交友関係も広がったり
少しずつ大人になっていくのが分かります。今はツールドフランスに夢中で本まで…

 

 

あとはヒアリングの強化と趣味を兼ねてこれを…これは私も是非使おうと思ってます。



入学式は「友達と行くから!」と言われて別行動でしたが今日は随分久しぶりに
用事があって2人で歩きました。3月の高校の手続きの日以来かな…

ちょうど皆既日食の時間に2人で歩いていたのですがラッキーな事に厚い雲の切れ目
から薄い雲がかかった状態の日食を何度も見る事が出来て感激してました

今日は偶然息子と一緒に見る事になったけど次回は誰と一緒に見てるんだろう?
子供達が元気に幸せに暮らしてくれているといいなぁなんて流れ星じゃないけど
しみじみしながらも願い事しちゃいました。
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